暗示実験

「旦那さんに会ってみてどう思いましたか?奥さん」
白衣を着た研究員が個室から出てきた女性に問いかけた。
「ええ…なんというか、前とは大違いです。なんだか話し方が知的で上品になったわ。あんなに言葉遣いが汚かったのに。いったいジェレミーはどうしちゃったの?」
夫の変化に戸惑う女性を安心させるようにゆったり微笑みながら研究員は今回の実験について説明した。
「実は旦那さんに暗示をかけさせてもらったんです。」
「暗示?」
「ええ。奥さんは旦那さんの言葉遣いが汚いとおっしゃってましたよね。それが『あなたは優秀な弁護士です』と暗示をかけただけであそこまで変わることができたのです。」
「まぁ!信じられないわ」
「おそらく旦那さんの弁護士のイメージがそのまま態度に表れたのでしょう。人というものは他者に暗示をかけられなくても常に自らに暗示をかけてしまっているのです。それによって自己に備わってる能力を抑えてしまっていることがある。例えば運動が嫌いな子が運動が出来ないと思い込むことで本当は出来るのにあまりできなくなってしまうことがあるんです。私たちの研究はそういった抑えてしまっている能力を暗示をかけることによって引き出すことなんです。この研究が発展すれば様々な分野に応用できると思います。」
「暗示は一度かけてしまったらもう元には戻らないの?ジェレミーはずっとあのまま?」
「いいえ。ご安心ください。暗示されたことと現実の違いに気づかせてあげれば暗示は直ぐにとけます。旦那さんの暗示を解いてみましょう」
そう言うと研究員はモニターの電源を付けた。
そこには鏡とパイプ椅子しかない部屋に一人きりでいるジェレミーが映し出された。
ジェレミーは作業着を着ていて、パイプ椅子に姿勢良く座っていた。
研究員はマイクに向かってジェレミーに話しかけた。
「ジェレミーさん。聞こえてますか。」
「ええ、聞こえてます。」
「これからいくつかの簡単なテストを行いたいのですが、ご協力していただけますか。」
「もちろん、喜んで。」
「ありがとうございます。では、さっそくですがあなたの職業を教えてください。」
「弁護士をしています。」
「あなたの今着ている服装を教えてください。」
「濃紺のスーツに灰色のネクタイです。これはお気に入りでね。」
そういってジェレミーは作業着の胸の部分を指でつまんでにっこり笑った。
もちろんそこにはネクタイはない。
「そうですか。では鏡の前に立ってください。」
「はい。」
「もう一度質問します。あなたの服装を教えてください。」
「おかしな人だなぁ。濃紺のスーツに灰色のネクタイですよ。変わりはありません。」
「いいえ。そうではありません。よくご覧になってください。あなたが今着ているのはカーキの作業着ですよ。あなたは弁護士ではなくて自動車工なのです。」
「なんだって!ちくしょうマジでだ!なんで今までスーツを着ているだなんて思いこんじまってたんだ?」
そう言ってジェレミーはそばにあったパイプ椅子を蹴飛ばした。
「いつものジェレミーに戻ったわ!」
「ええ、暗示が解けたのですよ。ミス。」
「あらあら嫌だわ。私には夫がいるのよ。ミセスの間違いですよ。」
女性は笑いながらそう答えたが見る見るうちにその笑顔はぎこちないものになっていった。
「…あら?よく考えたら私には夫なんていないわ。だってまだ未婚ですもの。」
「申し訳ありません。実はあなたにも暗示をかけさせてもらっていたのです。あの男性の妻であるとね。お二人とも暗示にかけることに成功したようです。」
「お役に立てたのなら良かったわ。最後に一つだけ質問をしてもいいかしら。」
「構いませんよ。答えられる限りお答えします。」
女性は自分のバックから少し大きめの鏡を取り出して研究員に差し出しながらこう言った。


「私にはあなたが小学生にしか見えないのだけれど、お気づきかしら?」